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雨の日だけ開く喫茶店

雨の日だけ入れるカフェがある。

傘をささないで外を歩いていると、ふと湿った香りに混ざってコーヒーの香りがするときがある。

そんなときに路地裏に目をやると、そのカフェを見つけることができる。

蔦に絡まった、少し古びた煉瓦造のカフェ。丸みがかった扉と、少し錆びた看板が目印。

フィラメント式の暖かい電球のちりちりとした音も聞こえる。

私は今日も、そのカフェに足を運び入れた。

コーヒーの香りに混ざり広がる古本の香り。

店内は小さく、少しの文庫本が入った戸棚と3席分のカウンター席しかない。

あと、私の腰ほどのベンジャミン。

ハンカチで軽く髪と肩を払い、席についた。

「いらっしゃい。今日は何にしますか」

カウンター越しに店長が穏やかに笑っている。

メニューは、ブレンドコーヒー、カフェオレ、カプチーノの三種類から選ぶことができる。

「カフェオレで」

いつも通り。

本棚に手を伸ばし、背表紙をなぞる。

少しだけよれていて、ザラザラしていて、背が小さい。

頭に手をやると、前に挟んだ栞に触れる。

これ、お気に入りの本。

本の内容はもう覚えている。

次のページに書かれている内容も、この男の子が次に言うセリフも。

姫を城から連れ出す、ありふれたお話。

でも、最後に男の子は姫の身代わりとなってしまう。

終わるのがさみしくて、何度も読んでいたらいつの間にか手に馴染むようになってしまった。

栞には小さな鈴がついていて、ページを開くたびにチリンと音がなる。

あとはコーヒーが滴り落ちてコップに溜まる音。

雨音と、湿っぽい空気。

このお店には窓がない。

少し窮屈に見えるけど、それが落ち着く。

「どうぞ」

眼の前に丸い小さな陶器のカップに入ったコーヒーが差し出される。

まだミルクと混ざりきっていないようで、少し不思議な模様をしている。

ソーサーはなく、私の前には小さなカップに入ったコーヒーとお気に入りの本だけ。

私は店長に軽く頭を下げた。

「ごゆっくり」

このお店は砂糖を置いていないらしい。

本当はちょっと砂糖を入れるのが好きだけど、このまま飲むのも悪くない。

あち。

今日のコーヒーは普段より少しだけ熱かった。

その拍子に、カップを一周したコーヒーが飛び出し、本にかかってしまった。

指先が震えた。

「あ、ごめんなさい......」

とっさに謝る。

手元のハンカチを掴むが、湿気っていたのを思い出し空中で腰が止まってしまった。

「いや、気にしないで。私の方で拭いておくよ」

店長は私が手を出す前にさっと本を取り上げ、タオルで拭きあげてしまった。

「少しだけ染みになってしまったけど。この本もきっと喜んでるよ」

再び私の前に本が置かれた。

店長は少しと言ったけど、何ページかに渡り茶色い跡が残ってしまっている。

「あの、ありがとうございます」

「こちらこそ、いつもありがとう」

手をひらひらとさせ、裏側に消えていく店長。

私はゆっくりとコーヒーを口に運ぶ。

今度はこぼさないように、慎重に。

ふわりと広がる知らない香り。

もしかして、豆を変えたのだろうか。

少し酸味が強くて、でも後味がすっきりしている。

これは砂糖を入れないほうが美味しいかもしれない。

私は染みになってしまったページを開く。

ちょうどラストのシーンのあたり。

だけど、ちょうどコーヒーの染みの端が姫のセリフを覆い隠してしまっていた。

構わず読み飛ばしていく。

「......ふふ、こんなお話だったっけ」

姫と男の子のセリフがちぐはぐで、少しおかしい。

私は栞を抜き取り、本を閉じた。

代金をテーブルに置き、外に出る。

たまには熱いコーヒーもいいかもしれない。

本を本棚に戻し、カフェのドアノブをひねる。

雨上がりのアスファルトの香り。

ギィと音を立て扉が閉まる。

外は雲間から日光が差し込み、電線から滴る雨粒を照らしていた。

振り返ったときには、レンガの壁しかなかった。